深い海の底で、ぽっと灯る小さな光。
それはチョウチンアンコウが手にした生きるための道具です。
暗闇の世界で光を使って獲物を呼び寄せるしくみは、深海ならではの環境と体の工夫が組み合わさって生まれました。
ここでは、なぜ光るのか、その発光の正体と狩りの方法、そして深海で光ることのメリットをやさしく解説します。
チョウチンアンコウはどんな魚?深海の暮らし

生息地と深海の暗さ
チョウチンアンコウは、主に水深数百mから1000mを超える深海に住んでいます。
太陽の光がほとんど届かない水深では、昼夜を問わず薄暗さから完全な暗闇が広がります。
水温は低く(多くは2〜4℃ほど)、水圧は陸上の何百倍にもなり、エネルギー源となる餌も豊富ではありません。
こうした過酷な環境では、むやみに泳ぎ回るよりも、効率のよい待ち伏せ戦略が有利になります。
その中心にあるのが、チョウチンのように光る発光器です。
大きな口と歯(獲物を逃さない形)
チョウチンアンコウの顔でまず目を引くのが、頭より大きく開く口と、内側に曲がった細長い歯です。
口を大きく開いて一気に水ごと吸い込み、近づいた獲物を逃さず飲み込むための形になっています。
アゴの関節は大きく開くように進化し、胃も伸縮性に富んでいるため、自分の体に近い大きさの獲物でも飲み込むことができます。
歯は返しの付いた釣り針のように内向きで、一度入った獲物が後ろに戻りにくい構造です。
動きは素早いですが、その瞬間以外はあまり動かず、待ち伏せの間は体力を温存します。
メスが大きくオスが小さい
チョウチンアンコウでは、メスが大きく、オスが極端に小さい(性的二形)で知られています。
多くの種でメスは発光器を持ち、狩りの主役ですが、オスは小さくて泳ぎも弱く、メスを見つけることに特化しています。
種によっては、オスがメスに噛みついて体が癒合し、栄養を分けてもらいながら一生を共にする「寄生的配偶」という独特の暮らし方をとります。
深い海でパートナーに出会うのは難しいため、この戦略は繁殖の確実性を高める工夫と考えられています。
チョウチンアンコウはなぜ光る?発光の仕組み

先端の発光ルアー(エスカ)
チョウチンアンコウの額から伸びる細い突起は、背びれの一部が変化した器官です。
根元の「イリシウム(illicium)」の先端に、光る餌のような器官「エスカ(esca)」がついています。
エスカは種によって形が多様で、房状だったり、虫やエビに似ていたりします。
メスはこのエスカをゆらゆらと動かし、暗闇で目立つ小さな光点として獲物の注意を引きます。
必要なときは口の近くまで引き寄せたり、体の前で揺らして見せたりと、自在に使い分けます。
光の正体は共生バクテリア
チョウチンアンコウ自身が化学反応で直接光っているわけではなく、多くの深海性の仲間では、エスカの中にすむ共生発光バクテリアが光を作ります。
代表的にはPhotobacteriumなどの細菌で、ルシフェラーゼという酵素を使って、酸素と基質(FMNH2や脂肪族アルデヒドなど)を反応させ、青緑色の光を放ちます。
この光は細菌にとっては代謝の一部で、チョウチンアンコウは血流で酸素や栄養を調整したり、黒い色素膜で光をさえぎったりして、明るさや点滅を調節します。
魚はスイッチのように直接オン・オフするというより、光る細菌の環境を制御して演出しているのです。
深海で見えやすい色
海水は赤い光を吸収しやすく、青い光は遠くまで届きます。
チョウチンアンコウの発光が青緑色(およそ470〜490 nm)なのは、深海でも見えやすいからです。
多くの深海生物の目は、こうした短波長に感度が高く、暗やみでも小さな光点を見つけやすい仕組みになっています。
以下は、波長と見え方の関係を簡単にまとめた表です。
波長の色 | 海中での届きやすさ | 深海での見え方の傾向 |
---|---|---|
赤(約620–750 nm) | ほとんど届かない | 暗闇とほぼ同じに見えることが多い |
緑(約500–570 nm) | 比較的届きやすい | 近距離で視認性がある |
青〜青緑(約470–490 nm) | 最も届きやすい | 遠目でも小さな光点として目立つ |
深海で目立つには、弱い光でも遠くへ伝わる色を選ぶことが鍵なのです。
光で獲物をおびき寄せる方法

小さな光で好奇心をさそう
深海の生き物は、暗闇の中で起こるわずかな変化に敏感です。
小さな光点は「食べられそうな何かが動いたサイン」として、多くの生物の好奇心を引きつけます。
海雪(マリンスノー)や微小な甲殻類が発するかすかな光に普段から反応しているため、エスカの光にも自然と引き寄せられてしまうのです。
光は強すぎる必要はなく、むしろ控えめで点滅するような明滅が、「捕まえやすい小さな獲物らしさ」を演出します。
小魚やエビの動きに似せてふる
チョウチンアンコウは、エスカを小刻みに振ったり、止めたり動かしたりと、小魚やエビが漂うときの動きに似せて演技します。
種によっては、エスカの形が糸くずや虫の房に似ていることもあり、動きと形の合わせ技で違和感を消します。
ときには、エスカを獲物の目線に入る高さに調整して、相手から見つけやすくする工夫もします。
暗闇では輪郭より動きがヒントになりやすく、チョン、チョン、と生き物らしいリズムで揺らすことで、獲物に「近づいて確かめたい」と思わせるのです。
近づいたら一気に吸いこむ捕食
獲物が十分に近づいた瞬間、チョウチンアンコウは口を大きく開き、強力な吸い込み(水流)で一気に獲物を飲み込みます。
この動作は一瞬で、わずか数十ミリ秒から数百ミリ秒の世界です。
内向きの歯は逃走を防ぎ、伸縮する胃が大きな獲物を受け止めます。
エスカが口のすぐ前に位置するように操るため、「光に近づく=口元に入る」という流れが自然にでき上がるのです。
深海では出会いが貴重なため、一度のチャンスで確実に仕留める設計になっています。
深海で光るメリット
食事チャンスが増える(効率のよい狩り)
深海は広大で、餌との遭遇頻度は高くありません。
自ら移動せずとも光で相手に近づいてもらえるのは、エネルギー収支の面で非常に有利です。
共生バクテリアの発光は、魚が直接エネルギーを使って光るよりも負担が小さく、「低コストで高い誘引効果」を実現します。
さらに、光に引かれてくるのは小さなプランクトンだけでなく、それらを食べる小魚やエビも含まれるため、食物連鎖の上位の獲物に会える確率も上がります。
待ち伏せで体力を温存する
広い深海で泳ぎ回るのは、筋肉や酸素のコストがかさみます。
チョウチンアンコウは浮力や体の軽い作りを活かし、動きを最小限に抑える「待ち伏せ型」です。
必要なのは、適度にエスカを揺らし続けることだけで、これは長時間続けても負担の少ない動作です。
体力を温存しながら、チャンスが来た瞬間だけ爆発的に動くことで、厳しい環境でも生き延びられます。
発光は、この戦略を成立させる最重要の要素といえます。
補足: 体のつくりと役割の早見表
下の表は、チョウチンアンコウの主な器官と、その役割をまとめたものです。
発光と捕食がいかに結びついているかが見えてきます。
部位・要素 | 働き | 特筆点 |
---|---|---|
イリシウム(illicium) | エスカを支える「竿」 | 背びれが変化。長さや可動性は種によって異なる |
エスカ(esca) | 発光ルアー | 共生バクテリアが光る。形状は多様で擬態効果が高い |
歯(内向き) | 獲物の逆流防止 | 釣り針の返しのように内向きで逃走を阻む |
伸縮性の胃 | 大物の収納 | 一度の捕食で長く栄養を確保できる |
黒色の皮膚・遮光膜 | 明るさ調節 | 光量を抑え、相手から見えすぎないようにする |
すべての器官が「呼び寄せる→逃がさない」に向けて最適化されていることがわかります。
まとめ

チョウチンアンコウが光る理由は、深海の暗闇で獲物をおびき寄せ、確実に仕留めるためです。
その光は、エスカにすむ共生バクテリアが生み出し、魚は酸素や遮光で調節します。
青緑色の発光は深海で最も見えやすく、小さな点滅と生き物らしい動きが、獲物の好奇心をかき立てます。
大きな口と内向きの歯、伸縮する胃という体の仕組みが、その最後の瞬間を成功へ導きます。
こうして、待ち伏せによる低コスト・高効率の狩りが成り立ち、厳しい深海での生存に直結しているのです。
光は、チョウチンアンコウにとって「目印」であり「罠」であり、そして生きるための最強の道具なのだといえるでしょう。